2019.9.7 (土)
第3回
場所:ROOM302(3331 Arts Chiyoda)
被災地における‘Home’のあり方
第3回となる9月7日、今回は前半にいくつかの映像作品を鑑賞し、後半は法政大学・岩佐明彦先生がレクチャーを行った。大橋香奈は、制作プロセスは対話的・協働的(二人称的)であることを目指したいと、第2回の内容に触れながら語った。このスタディでは、調査協力者との対話のなかで、その人の‘Home’ のあり方をリサーチし、一緒に映像作品を制作する計画だが、作品の表現方法はさまざまな可能性がある。同じ人物についての語りでも、調査協力者自身のナレーションを用いて一人称的に語る「私は」も、調査者が三人称の目線から語る「彼/彼女は」もありえる。
まず鑑賞した作品は、羊とひとり暮らしの男性との種を越えた友情を描いた作品『PETER AND BEN』(Pinny Grylls、2007)だ。PETERの語りによる一人称的な構成となっている。特別な撮影技術や機材を用いなくとも、一人称的な語りを軸にすることでまとまりを持った映像作品として表現することが可能になっている。
『PHIRO』(Gregorio Graziosi、2008)は、美しい映像かつ、語りのないかたちで制作されている。映像には調査協力者のシャワーシーンが収録されており、そこから撮影者と協力者が親密な関係性だからこそ撮影できたものであることが伺える。
ほかにも難民支援協会が公開しているPR映像、大橋らが制作した『故郷「Home」』(大橋、徳山、ラム、2015年)、YouTubeと製作会社スコット・フリー・プロダクションズが手がけた『LIFE IN A DAY』(Kevin McDonald, Loressa Clisby、2011年)を鑑賞。調査協力者の匿名性を担保した表現方法や、チームで役割分担をして短期間で進行した映像制作、同じコンセプトのもと撮影された複数の撮影者による動画を束ねて仕上げられたものなど、多種多様な制作事例を学んだ。いずれの手法においても〈アクセス〉が鍵になっており、撮影できるような調査協力者との二人称的なかかわりを築いていくことが大切であるとディスカッションが進められた。
後半は「被災地と仮の住まい」と題した、法政大学の岩佐明彦先生によるレクチャー。「仮設(応急仮設住宅)は‘Home’となりうるか」「被災地における‘Home’とは?」という問いのもと、応急仮設住宅(以下、仮設住宅)における人々の生活の工夫についての研究を紹介された。
岩佐先生が仮設住宅に注目するきっかけとなったのは、2004年に発生した新潟県中越地震だった。震災後に建設された5000戸の仮設住宅は、家族の構成人数によって間取りに違いはあるものの、ほぼ同一の規格のものが用意された。入居後しばらくすると、より住みやすくするための工夫や改善が居住者によって施される地域もあれば、そのまま使われている地域もあることに気づいたという。そこからは、工夫のノウハウは近隣のなかでしか流通せず、偏在していることがわかった。そこで岩佐先生は、岩佐研究室の学生らとともに、改造のノウハウが流通するよう、ほかの仮設団地の状況を共有する場として「仮設カフェ」を実施。仮設カフェに設けられた仮設改造フォトギャラリーで、仮設住宅で写真に収められた「暮らしの工夫」を展示し、キャラバン方式でノウハウを追加、流通させることを試みた。そうした活動を続けるうちに岩佐先生自身のテーマが、「知恵の提供」から「知恵を共有する方法の提供」へと変わっていったという。「仮設住宅に住んでいる人のなかで情報が共有されることで、心地良く暮らせるようにしたい」と、情報共有を促すために『仮設のトリセツー仮設住宅を住みこなすための方法ー』が生まれた。
仮設住宅に住む人々が、仮設住宅を住みやすくするという共通のテーマをきっかけにコミュニケーションが生まれ、住まいをカスタマイズしていくなかで生き甲斐や、仮設団地のなかで自分の役割を見つけることもある。居住環境へコミットメントすることによって前向きな姿勢が生まれ、回復していくのだと岩佐先生は話す。本当の意味で良い仮設住宅であるかは、退去時に決まるものであり、評価されるものは住居の質ではなく、入居者の回復の状態である。
震災復興の過程では、集落が再建され、同じ場所でも景色が上書きされていることが多い。異なる地域に集団移転する際に、実際に置かれていたもののパーツを用いてもとの住まいの風景を想起させる試みや、場所が変わっても記憶が継承されていく地域もある。しかし一方で、仮設住宅団地で築かれたつながりを保つために、復興住宅へグループで集団移動したいという要望が叶わなかったり、復興住宅に入居するも、後から高級タワーマンションが隣設され、景色が一変してしまったりするケースも。新しい復興住宅よりも、仮設住宅団地の方がよほど‘Home’だったのではと思わせることがあるという。
レクチャー終了後は参加者とのディスカッションの時間へ。福島県出身で東日本大震災を経験した参加者は、高校のときに1年間だけ仮設のプレハブ校舎を使用し、不便かつスペースも限られた環境でみんなで工夫しながら過ごした体験を共有。その後新校舎へ移るものの、寂しさを覚え、みんなで一生懸命やっていたときの方が楽しかったと話す。医療・介護業界で勤務している参加者は、入居者がもともと使っていた家財を持ち込める高齢者施設の事例を紹介。入居者の「家へ帰る感覚」を促すよう、部屋のドアを、住んでいた家の玄関の写真を用いて再現する試みもあるそうだ。
ディスカッションのなかで、ひときわ盛り上がりを見せたのは「‘Home’の感覚をもたらす目に見えるものは何か」という議論だった。場所が変わってもものが散乱してくると‘Home’を感じると語る参加者がいる一方で、日常的な儀式やルーティンに着目する参加者もいた。毎朝コーヒーを飲むマグカップや、愛着を持っているものなど、‘Home’たらしめているものは案外些細なものではないだろうか。日常すぎるゆえ自分で気づかない場合も多く、他者が入ることで初めて見えるものや、相手のリアクションによって自分の‘Home’の感覚を自覚することもある。ディスカッションを通じて自分のルーティンに気づいた参加者も多くいたようだ。
次回はいよいよ、制作する映像のアイデアの共有とディスカッションを行う。さまざまな視点からのアプローチ、表現の方法や‘Home’の感覚をもたらすものの事例を学んだ参加者一同は、どんな映像作品を制作していくのだろうか。
Text=染谷めい(執筆)/森部綾子(構成)