2020.10.31 (土)
第4回
代々木公園
それぞれのもやもやから出会う
10月31日、秋晴れの代々木公園にメンバーが集い、第4回のワークが実施された。メンバーそれぞれに「自分のもやもやについて考えて、当日共有してもらう」ことを事前にお題が出ていた今回。
第1回、第2回はナビゲーターの南雲と和田が、第3回は加藤が主導となって進行してきたが、今回はメンバーの一人ひとりの語りが主体となり進んでいった。
「もやもや」を共有する前に行ったのは2つのワーク「インターネットになってみる」「真ん中を探す」だ。
「インターネットになってみる」。一本の黄色くて長い糸をメンバーが持つ。それぞれ目をつぶり糸だけでつながった状態になる。それぞれが糸を引っ張ったり、引っ張られたりしながら動く。自分自身が動いていなくても、周囲の動きによって影響され、立ち位置が変化する。強く糸を引っ張る人や複数の点で糸をもっているメンバーの影響力が強い。糸=つながり方によって無意識的に影響を受けているものがあることを実感した。
「真ん中を探す」。2人1組で、一つのスポンジを落とさないように持つ。肩と肘、人差し指と背中など、それぞれ支える箇所を変えて、スポンジを支え、真ん中を探す。何を持って真ん中とするのか定義が曖昧ななかで、スポンジを通して感じる相手の動きを感じ取りながら、身体をほぐしていった。
身体をほぐしてからは、公園の一角に敷物をしき、車座に。メンバーはそれぞれの方法で、これまでの経験や自分の現在地、もやもやなどを共有する。
普段慣れ親しんでいる演劇ワークショップの一部をメンバーと一緒にやってみる。どういう仕事の仕方が自分に必要なのか考える。先天的な夢と後天的な夢をテーマにお喋りする。プライベートな人間関係のなかで感じているもやもやを告げる。このスタディで模索している「コミュニケーション」や「身体性」へ興味を持った理由を起点に、これからやりたいことを伝える。突然走りたくなり、公園のなかをメンバーで走る。これまで書き溜めていた言葉があること、大切な経験をそっと車座の中心に置く。気づいたときには日が暮れていた。
第1回から第3回まで重ねてきたコミュニケーションと、当日メンバーが共有してくれた話にそれぞれが呼応し合うかたちで、自分の中にある他者と出会っていたようだった。
「みんなと出会う前は、『自分のために』参加している気持ちが強かったけど、出会うたびにみんなのことを知っていくたびに、好きや安心が少しずつ増して、前に思っていた『自分』の範囲が少しずつ広がっていく感覚」(伊藤)
「話したくないことははなさなくてよい。これはスタディ1の日誌を書くときの共有事項だったから、この日も個人的な悩みを言わなくていいのはわかってたんだけど、間違いなくすっごくもやもやしてるし、やっぱり話したくなって、話してみた。うまく言葉にならなかったところが多々ある。それでもたぶん話してみてよかったのだと思う。誰にも詳しくは話してなかったし、聞いてもらって、他の人の話も聞かせてもらって、自分の気持ちにやっと『かたち』ができてきた気がする。やっと産まれたみたいな感じもある」(十代田)
「対話しあった私たちは、決して一つにならない。決別ではなく、寄り添うということ。共に在るということ。アートは、体育会系だ!体力でもなく、技術でもなく、持久力でもなく、ただ対象とともに、対象のそばに体を置くという意味で(昨日は実際走ったけれども)。何が起きるかわからない場所に、わからないまま半日をともにするという意味で、共に在ることは暖かく、熱い。代々木公園で一番、得体の知れなくて、一番熱い存在であっただろう。対話しあった私たちは、決して一つにならない。それでも良いではないか。『結局、人は変えられない』それでも良いではないか」(大塚)
「昨日は、他者というどことなく遠いものに、距離を保ったまま、良い具合で剥がれた感じがした。近づけたとかそういうことでなく。」(南雲)
「今回共有されたことは、関係性があるからこそ、語られたもの。だから詳細に記録して簡単に触れられるようにはしたくない」。そんな思いを抱きながら、電車に揺られて帰った。
Text=木村和博