2020.11.21 (土)
第6回
場所:ROOM302(3331 Arts Chiyoda)
メディアの構築性を学ぶ
この日のゲストは、映像人類学研究に取り組む川瀬慈さん。
約20年にわたり、アフリカの楽師、吟遊詩人などの活動を映像で記録してきた。
レクチャーではまず、複数のドキュメンタリー映像を見ながら、映像表現のさまざまな類型を川瀬さんの解説で学習。その後、グループに分かれ、スマートフォンのカメラを使った短編映像制作のフィールドワークをした。
川瀬さんは冒頭で「映像を介してコミュニケートする、つまり物語ったり、問いかけたりするにはどのような方法があり得るかについて、みなさんと考えたい」と狙いを話した後、映像表現のさまざまなかたちを説明。
「文章にも、論文やラブレター、家族への手紙などいろいろな書き方があって、みなさんが意識的にトーンを選んで書き分けているように、映像で物語る際も、被写体との関係性やプロジェクトの狙いによって、語り口が変わってきます」とし、映画評論家ビル・ニコルス (Bill Nichols)による、ドキュメンタリー映像の6つの類型を紹介した。
ニコルスによると、ドキュメンタリー映像は、
①解説(Expository Mode)
②観察(Observational Mode)
③参加(Participatory Mode)
④省察(Reflexive Mode)
⑤パフォーマティブ(Performative Mode)
⑥詩的(Poetic Mode)
という6つの「モード」に分けられる。
川瀬さんは、1つの映像が必ずどれか1つに属するとは限らず、場合によっては複数のモードを横断的に持ち得ると前置きし、「この6つを映像をつくる上での柱としてください。ただ、もたれ過ぎると溶ける柱ではあります」と独特の表現で呼び掛けた。
スタディメンバーは、6つの動画それぞれに対し、撮影者がどのような意図で動画をつくったのか議論を交わした(6つの定義をこの記事で詳細に解説することは避ける)。
例えば①の解説モードでは、文化人類学者マーガレット・ミードによる、1930年代のインドネシア・バリ島の農村の映像を視聴。
ミード自身がナレーターとして現地の母親や教育慣習について語り続ける静かな動画で、スタディメンバーが「ミードの声がメインで、別の音が使われていない」と指摘すると、川瀬さんが「一切ないですね。つまり我々に一方的に情報を伝えているということ。ここで大事なのは映像ではなく、ミード大先生の講義になっています。その骨に映像がつけられています」と解説した。
③の参加モードでは、
オランダ人の映像作家クリス・ベッローニ(Chris Belloni)による、モロッコが舞台の映画「I Am Gay And Muslim」が題材。
「モロッコというイスラム教徒が多い国で同性愛者として生きるとはどういうことかをモロッコの人々にインタビューしていく作品です。映像のストラクチャー(構造)に注目して見てもらい、その背後にあるクリスの狙いを考えてほしい」と川瀬さんが語り、作品の冒頭数分を観賞した。
冒頭は、ベッローニが、被写体のゲイでムスリムの男性と、音楽がかかる車の中でハイテンションで話しているシーン。
ベッローニが「マスクをつけているとより自分らしく感じますか?」と聞くと、男性が「そうだよ、よりクレイジーになれるんだ」と答える。
続くシーンは、一転して静かな一室の映像。
ベッローニが、Skypeで被写体の男性に対し、「今映画のトレイラー(予告編)をつくっていて、YouTubeにあげようと思っているんだけど、問題はないですか?」と了承を得ようとしたところ、男性は「それは困る」と拒否する。
川瀬さんは、「被写体に了承を得るというような、舞台裏のやりとりをあえて視聴者に見せる。これは最近のドキュメンタリーの潮流でもあるのですが、なぜわざわざ見せるのでしょうか。見せることでクリスは何を伝えたいのだと思いますか?」と問いかけた。
参加メンバーの1人が、「最初に、『マスクがあるとより自分になれる』という男性の内側を見せることで、視聴者をある種の共犯関係にする。一方で、トレイラーの了承を得るシーンでは、『視聴者がYouTubeで批判する側になるかもしれない』というメッセージを与える。このようなダブルバインド(二重拘束)を視聴者に伝えているのでは」と述べると、川瀬さんは「素晴らしい解釈です。クリスは共犯関係を示すと同時に、観客に問いを投げかけています」と称えた。
また別のメンバーは「Skypeのシーンはある種のパフォーマンスなのかな」と指摘。「あのシーンがなかったら、視聴者が(YouTubeへの予告編のアップを拒む男性の映像を使うことに対する)倫理性を考えることもないと思う」と話すと、川瀬さんも「確信犯的に使っているというのは感じますね」と話した。
ドキュメンタリー動画表現の類型を学んだ後は、3人ずつグループに分かれ、スマートフォンのカメラを使った動画制作に挑戦。
川瀬さんからは「適当に撮り始めるのではなく、何をどういうアプローチで撮るのかをグループで議論して。1つのモードでも複数のモードでもいいし、ホラーのようなほかのジャンルでもいい。何らかの狙いや意図を基に構築されたものを発表しましょう」「カメラは脇をしめて、手前に引き、安定したショットを心がけて」などと説明があった。
作品の尺は5分以内で、1ショット3秒以上。撮影した順番通りにカットをつなぎ合わせて作品にするー という基本ルールの下で制作に取り組んだ。
打ち合わせを終えると、それぞれ撮影場所に移動。思い思いの場所に散らばり、カメラを回した。
約40分後、再度ROOM302に集合し、作品を発表。
あるグループは、3331 Arts Chiyodaの建物前の広場を舞台に、芝生の上を人が行き交う映像や、人間に座られるベンチからの視点などをつむぎ、2分弱の作品に。
「人間とモノの関係性をテーマに、3331 Arts Chiyodaにおける人々の営みを表現したかった」と意図を解説し、「もう少し人間以外のショットを増やさないと伝えたいことを伝えられないかなと思った」と反省。川瀬さんは、「短いけれどおもしろかった。特に日常の風景を異化していく試みは良いかもしれませんね」とコメントした。
また別のグループは、1人のメンバーが別のメンバーから「初対面の人と話すコツ」を聞き、その助言を基に、1階フロアにいる一般客に話しかけてみるという一連の流れを作品にした。
カメラが捉えているのは、インタビュアーとして苦戦するメンバー。インタビュイー(インタビューされる側)は画面に現れず、川瀬さんは「インタビューする人を映しているっていうのがおもしろいですね」と拍手。
「インタビューがうまくいかない、達成できないー ここがおもしろいなと思います。こうした偶発性といかに戯れるかが大切です」と講評した。
全てのグループの発表が終わり、「今日のフィールドワークで新たな可能性が広がった気がしませんか?」と川瀬さん。
「常に見ている人がいるんだという意識が(メディアには)必要です。何かをつくることで思考が深められ、より考えていく。考えることで、思考がさらに広がっていきます。ビル・ニコルスの6つの類型を紹介しましたが、こうした見方をすれば、メディアの見方が必ず変わってきます。今日の夕方のニュースから変わってくるでしょう」と語り、普段からメディアに接する際に、情報の構造や、背後にある制作者の意図などに気を配ってみることを勧めた。
川瀬さんがこの日教えてくれたのは、主にドキュメンタリー映像などの動画メディアについての基礎知識や技術だったが、その多くは、文章や写真など幅広い表現にも転用可能なもの。
動画制作という実践を経たメンバーたちは、ここから、初のトライアル作品の制作に向かう。
Text=鷲見洋之